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若き詩人への手紙

若き詩人への手紙・若き女性への手紙 (新潮文庫)

若き詩人への手紙・若き女性への手紙 (新潮文庫)

「若き詩人への手紙」のはじめの方だけを、また少しだけ読んだ。たしか「天使にラブソングを2」だったと記憶してるけど。ウーピー・ゴールドバーグ が歌手になれるかどうかで悩んでいる小生意気な娘に向かってこの本を引用し必ず読めといい、ドンと手わたす場面があったのだ。ぼくが読んだのは上に示した文庫本の14ページから15ページあたり、

あなたは、ご自分の詩がよいものかどうかとお尋ねなさる。私にお尋ねなさる。前には他の人々にお尋ねになった。あなたは詩を雑誌にお送りになる。他の詩と比較してごらんになる。そして、どこかの編集部があなたの詩を返してきたからといって、自信をぐらつかせられる。では(私に忠告をお許し下さったわけですから)私がお願いしましょう。

リルケは用心ぶかく、きみが尋ねてくれるから私も応えるのだけれどねと前置きしているのだと思う。他人の評価、比較、そんなことを気にするのはバカバカしいことだと?

あなたは外へ目を向けていらっしゃる、だがなによりも今、あなたのなさってはいけないのがそれなのです。誰もあたなに助言したり手助けしたりすることはできません、誰も。

でもリルケはここで、この若き詩人さんを手助けしようとしてしおり、げんに助言もしているんじゃないのかなー、というツッコミはなしだ。リルケに忠告を許したのは若き詩人さんだし、そもそもリルケは彼にお願いをしてるに過ぎない。仔細なことだとは思うけど。こうした形式上の繊細さが以下の、詩人はまず誰よりも先に自らに問いかけるべきで真摯であるためには絶対的に孤独でなくちゃいけません、という命題。言葉どおりに受けとるならやや乱暴にも見えるそれを意味深にも響かせているんじゃなかろうか。
詩人=孤独のひろがりに耳をすます存在、ということを詩人の方から述べはじめるのはやはりおかしなことだ。詩人にとって孤独の中に沈むことは必要なステップなのかもしれないけど。ぶっちゃけ、この孤独とは(騒々しい他人への軽蔑、というのは言いすぎかもしれないけど)詩人はその詩作において他人を必要としていない、という表明でもあるのだから──どうして必要としない他人へ詩人から語りだすことができるだろう──そう述べるためにはリルケも若き詩人さんからの問いかけを必要としていたのかもしれないな、と思った。