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猛烈な勢いでメモ ダッシュ

短い話とか 俳句とか

曲り角 

1976年に発表されたアルバム「招待状のないショー」の中の「曲り角」という歌を聞いた。聞く者の涙を誘えばその試みは成功だというようなセンチメンタルは、もうやーめた、と井上陽水自身が言っていた頃の曲らしい。歌詞はこんな感じ、

俺は曲り角で こけた ほんの少し みんなは笑いころげ 俺は いたく傷ついたぁ〜

以下、人と接するときは優し過ぎないようにしませう、とか、闇を照らす月は明る過ぎてはダメですよ、とか、大地を結ぶ虹はきれい過ぎないようにね、とか、印象的であると同時に警句的な?フレーズが並ぶのだけれど。この詩の中の語り手と、その語り手を笑ったり、あきれたりする「みんな」の掛け合いが少しコミカル。
先に引用したように、曲り角でこけた「俺」を「みんな」は冷淡に笑うのだが、そればかりじゃなく、歩くのもうイヤだ、という「俺」に「なんのそれしき、もっと歩き、こけろ」と述べているのだった。なんて酷いやつら。とはいえ、もしも歩くことをやめる訳にはいかない事情があり、歩き続けることが無条件に正しいという無言の合意があるなら、「みんな」の罵声は意地悪というより、「俺」に対する叱咤、あるいは応援のようなものだったようにも思われる。が。詩の中の「俺」はそんな善意の解釈はしない。容赦のない声に対し、「みんな曲り角で、こけろ、俺のように」と言っちゃうのであった。まあ「俺」は相手が言ったことを、そのまま返しただけだと言えなくもないのだが、「みんな」が「あきれはてた」のもまた当然かな。

ネットで調べるとこの翌年の1977年9月、陽水は大麻所持容疑で逮捕され、裁判官の前で反省文のようなものを読むはめとなったらしい。散文の朗読。かさにかかるようにバッシングしただろうメディアや世間?に対し、「みんな曲り角で、こけろ、俺のように」と陽水も思ったのかなあ、と想像してしまった。