猛烈な勢いでメモ ダッシュ

推敲してます。漫画とか。俳句とか。

不機嫌な海

海に行っておにぎりを食べてきた 冷たいお茶も飲んだ 日陰で座れるベンチもあって風も吹いて ほぼ理想的な場所だったんだけど でもなぜか すぐそばに柱が立っていて その上には巨大なスピーカーがのっていて ずっと大音量の音楽が流れていたのには少しまいった 2曲連続で主張の強い ヒップホップの曲がかかったときは まじめにこの曲を選曲している連中に抗議しに行こう と思ったほどだ もっと静かな曲かを選ぶか もう少しだけ音量を下げてくれてもいいのにと思った 海にまでいって こんなことを考えなくてはいけないことについて ぼくは少し不機嫌になっていたと思う 
おにぎりを食べ終わったあと 波打ち際に向かって歩いた やけた砂はまるで悪意を剥き出しにしたように ぼくの足に噛みついてきた 安物のサンダルは溶けてしまうのではなかろうか と思われるような熱 海に足をつけていい気持ち 波に立ち向かう子供や 浮き輪にうかんだ子供たち あと水着のお姉さんもいっぱいいた 遠く水平線を眺めれば さきほどの不機嫌も空に溶けていくようだった というのは嘘だ まだぼくは海岸を被う音楽の暴力性について考えていた
 
ぼくはなにも音楽のひとつのジャンルについて その性質を云々しようとしているのではない もしも仕事かなにかで どうしても車で移動しなくてはいけなくて その移動時間の間ずっと ど演歌をかけられたら それだって耐えがたい拷問になりうるだろう というのがぼくの考えだ 実際にそんな労働環境に耐えかねて仕事をやめてしまった子の記事を読んだことがある 
強制される音楽はすべからく暴力として働きうる iPodとか携帯音楽プレーヤーが売れたの理由のひとつは好きな場所で好きな曲を聞きたいからというより 耐えがたい音源に対するシールドとして 購入した人だって沢山いるのではないか 
というのは考え過ぎだろうけど でもともかく 聞きたくない音楽は聞きたくなくて それを我慢することに 少なくともぼくはあまり慣れていないのだ ラジオでもテレビでもいつも複数のチャンネルがあって 不愉快だと思えば すぐにそれを変更する自由をぼくは当たり前のものだと思っている 海岸を被っていた音楽について なんだか耐えがたいものを感じたのも そうした事と無関係ではないのだろうなー