猛烈な勢いでメモ ダッシュ

推敲してます。漫画とか。俳句とか。

饒舌なガイアさん

寝ぼけたままテレビをつけ、こんなCMをみた。
少しせわしない感じにしているサラリーマンが幾つか並んだごみ箱の前で、こう呟く。「ごみの分別なんて意味ないでしょう」すると空から「そんなことないよ、うれしい」という声が聞こえ、サラリーマンは少しびっくり、「それはきっと地球の声」ってナレーションが入り、なんだかほのぼのとした雰囲気になる。だいたい、そんな内容の映像だったのだが、これを見たぼくは皮肉な気持ちになった。ネットであれこれ検索したら、日本民間放送連盟が始めた「地球温暖化問題啓発スポット」のCMらしい。
ぼくの反論もいつもと同じ。地球さんを擬人化する手法は分からないでもない。でも、なんで地球さんの声を代弁し、単純化し、利用する必要があるのか?ってこと。ゴミの分別はした方が良い、こうした実践と関心のひろがりがゴミ問題、(ひいては温暖化とか?)環境問題の解決に少しでも繋がっていくなら、これもけっこうな事だと思う。でも、それは結局ぼくら人間自身のためなのに、なぜ間に地球さんをはさみ、彼女の声を響かせ、彼女のために環境問題を解決しませう、みたいなお話を作る必要があるのだろう。
別のもっと露骨なCMでは、環境破壊で顔色の悪くなった地球さんが、水星さんや火星さんにかこまれ、最近、地球、元気ないね、人間は環境破壊の名人だからね、みたいな嫌味を言われまくるという、惑星間漫談みたいことも行われていた。人間、悪いね、反省しろ、と惑星井戸端会議でも話題になっているよ、って感じなのだけれど。なんだかなー。
くり返すと、CMの趣旨に異論はない。ごみの分別はした方がいい。そして分別することは地球規模の環境問題にも、少しは役立つだろう。ほんとに人々がほんの僅かだけ習慣の変更をしてゆくなら、それだけで(人間の)世界はより良い方向に転がってゆくのではないか、って気さえする。でもこのことと、地球さんが何を考えているかは関係がないと思う。たとえ良いことであってもこのCMは文字通りのプロパガンダ であって、地球さんは同意もなしに人間のキレイごとにつきあわせられている。そしてその宣伝は地球さんの名のもとに謙虚さを要求しながら。実際に行っているその話法は、自分自身の利益を述べるかわりに他人の声を代弁をしている。それは他でもない地球さんをないがしろにするものだ──と思う。自分で自分が述べてきたことに違反するようで、心苦しいけど。もしも意地悪なぼくが地球さんなら、「環境問題」についてこう云うね。
「環境問題?あー。最近わたしの表面で繁殖しているカビみたいな奴らの話ね。彼らとは時間のスパンも噛み合ないし、あまり気にしてないよ」
そんな大らかな地球さんなら好き勝手に人間が彼女の声を代弁してても、どうぞ、ご自由に、って。不遜なぼくらを無視しててくれるかな。