猛烈な勢いでメモ ダッシュ

推敲してます。漫画とか。俳句とか。

オヤジギャグの絶望は深い

それから「洗練されたジョークとおやじギャグでは反応する脳の部位がちがっている?」という研究もあるそうだ。図式的にいえば、
(1)語義的なジョークは、語の意味を処理する領域……(後側頭葉)
(2)オヤジギャグ駄洒落は、音を処理する領域……(左下前頭葉前皮質・島)
が主に処理しているっていう。
  ──主婦と科学。家庭科学総合研究所(カソウケン)ほぼ日出張所
    http://www.1101.com/kasoken/2004-09-24.html 参照
こうした研究から出発して若い子の耳にオヤジギャグはノイズとして響いている、と力強く断言しておられるサイトもあった。
 
ぼくが思うにオヤジギャグは、お父さんたちの絶望を表していると思うな。その絶望とは言葉の「意味」についての絶望だ。現実の荒波にもまれアレコレ悩みもしたすえに彼らは、理念的な立場から少しばかり遠ざからない訳にはいかなかったのだろう。それはちょうど「お説教」とは反対の方向なのだが。確かな意味を担った言葉なんか信じない、というのは別に威張って云うようなことでもない。問題は沈黙もまた意味深な言葉になりかねないということ。それゆえお父さんは口を開かない訳にもいかないのだけれど。本当にくだらないことなんだけどさ、とやや申し訳なさそうに、まさに没意味的に切り出されたオヤジギャグの裏には、そんな事情もあったりするのかもしれない。
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