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「ムダじゃ、ムダじゃ」論争

「ムーミン谷」にくまの哲学者なんて登場してなかった。それはその通りなのだが。ぼくがそう勘違いしたのにも理由があったように思う。ぼくが思い浮かべたのは原作でなく、たぶんアニメのイメージだったのだ。ぼくの記憶ではだが。その哲学者は山の洞穴にハンモックをつるし、まるで愛でるように本を胸に抱いて眠っている。目を覚ませば「ムダじゃ、ムダじゃ」と言うのが口癖なのだが、その口には豊かな髭をたくわえている。すこしニーチェ的な風貌。
子供だったとき、ぼくは彼のキャラをとても気に入っていたのだった。だからスナフキンとの論戦になって彼がそれに破れ、ミイにくすぐられてゲラゲラ笑いだし彼のイメージが瓦解するように描かれたときはがっかりした。あのときスナフキンが言っていたのは、あなたはムダだと言いながら自らがムダだと断じてる生を生きてる、そのペシミスティックな態度は美意識の問題に還元されるようなことではないですか?みたいなことだったと記憶しているけど。ともあれ結果的にスナフキンが言い勝ち、ミイの「ムダじゃ、ムダじゃ」熱も一気に醒めたのだった。──そうだ、ミイが勝手に哲学者をかっこいいと思いこみ彼を師として仰ぎ、度をこした熱愛を示したからあの論戦は起きたのだった。
思い出してみて改めて考えてみるに、やっぱりこれはアニメの制作者が悪い。悪い、と断言するのは別にぼくのお気に入りの哲学者をクサしたからだけではない。──制作者と視聴者が一緒に築き上げてきた愛すべき哲学者キャラを、そのキャラ性において標的にし、これを否定するというのも十分にひどいことだと思うけど──たとえ幼いミイのためだったとはいえ、自分の方から論戦を挑み打ち勝ったスナフキンのイメージも、より説教くさいものになってしまい、その魅力を半減させた気がするのだ。
これは原作の方の設定でまた別の話かもしれないけど。スナフキンほどお説教の似合わないキャラもないのに。っていうか約束すら嫌いだし、看板を見れば頭に血が上り、ただちに叩き壊すという過激な自由主義者ぶりがその本領なはずなのにだ。という訳で。「ムダじゃ、ムダじゃ」をめぐる、哲学者vs.スナフキンの論戦はちょっと残念な事件だったなー。