猛烈な勢いでメモ ダッシュ

推敲してます。漫画とか。俳句とか。

前に書いて消して、また消すかもしれないエントリー ひでお魂の叫び?

以下は、吾妻ひでおの「だらだらひでお(絵)日記 09.7月」よりの引用
http://azumahideo.nobody.jp/

3(金)
録画してあったTBSのアニメ「けいおん!
観る、空虚だ、ギャグもナンセンスもユーモアも
エロもグロもストーリーらしきものも何も無い、
ちょっとしたフェティシズムがあるだけ、
このアニメ作ってる人も観てる人々も
不気味、そんなに現実イヤなのか?
この気持悪さはメイドカフェにも通じる
ものがある、原作のかきふらい、
けいおん(1)」読んでみたらまァまァの
ほほえましいほのぼの四コマ漫画だ○
原作生かせよ!日テレ「エヴァ(序)」
観る アニメなのに画面暗いよ!
SFのふりしてオカルトに勧誘するのは
やめてね。

 
これを読んだときぼくは少しびっくりしたのだった。ひでお魂の叫び?けれど──なぜ「けいおん!」について吾妻ひでおが苛立つのか、ぼくにはさっぱり分からなかった。「けいおん!」が空虚だというなら、「不条理日記」だって十二分に空虚だろう。っていうか、手塚治虫のマンガやアニメには空虚ではない充実した内実のようなものがあったのだろうか。ああ、そうなのかなあ。でも、でも、たとえば手塚治虫は自分のマンガについて、芸術なんかではありませんからね、後世に残ることはないでしょう、とどこかで述べておられた気がする。手塚にとってマンガはアニメを作るお金を稼ぐための手段のような部分も多分にあった訳だし、あれやこれや考えると、あの手塚治虫だって自分のマンガを空虚ではない、と胸をはって言うことはしなかったような気がするのだ、いわんや吾妻ひでおにおいておや、もし自分の作品を空虚ではないと言いきれないなら、他人の作品についても空虚だという理由で批判すべきでない、吾妻先生、どうかしちゃったのかな、とぼくは心配になった、平常運転の生活に戻って、ささやかなながらも暮らしの安寧を見いだすや否や、娯楽を見る目も贅沢になって、ともかくアニメを観賞できるということ自体が、望外の贈り物なのだ!という慎ましさを忘却すると同時に、傲慢をかます次第となったのだろうか、吾妻先生、そんなの堕落ですよ!とぼくは言いたくなったけど。
失踪日記」の80ページを見ると、コジキをしている吾妻ひでおは一冊の本を拾い、それを「あ オカルト」と了解するや否や、ポイっと捨てているのだった。その様子を見ていた若人たちの反応は以下のとおり。「あー」「コジキだ、コジキだ」「本拾った コジキが 本拾った」「コジキが本返した」「あれ この作者 俺最近 信じている 人だ──」。これに対してコジキの吾妻ひでおも何時ものとおりこう述べている。「お前ら SF 読めよ」──考えるまでもなく吾妻ひでお先生って、ずっとこんな調子なんだ。すべてはマンガの中の出来事。
orz
 
追記。ちなみに「どっどどどどどうど ひでお(絵)日記 ’09.8月」の「16(日)」のところでは「けいおん!」のフィギア田井中 律をもらって喜んでおられるご様子が描かれていました。ぼくが推測するに。。。「けいおん!」批判のネットでの反応が、思いがけず良すぎるものだったので、先生、日和りましたね。
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