猛烈な勢いでメモ ダッシュ

推敲してます。漫画とか。俳句とか。

不名誉な数字

『自殺率の国際比較』ってページを見る機会があった。日本の自殺率は有意に高く社会問題にもなっているらしい。ぼくはその傾向を疑っている訳じゃないし、これは日本の社会がうまくいってないことを表しているとも思う。そしてそうした意味での数字に表れた自殺を論じるにあたっては、哲学的というよりは、経済学的な観点からアプローチした方がいいとも思っている。ぼくが違和をおぼえたのは「日本の自殺率は高い」=「不名誉な数字」とされていたことだ。ぼくはなにも声高に「不名誉なとは何事か、お亡くなりになった方に、そして遺族の方々に対しての配慮はないのか」と主張したい訳でもない。たぶん交通事故の件数の比較と同じで、良くない(=低くした方がいい)数字ですよ、ということを述べているに過ぎないだろうとも。でも、ちょっとだけ、幾つかのことを思い出して複雑な気分にはなった。
ひとつは山手の線のハロウィンパーティ事件でログを読んでいたときのこと。電車の中でパーティすることの是非をめぐって、外国の方と、日本の方が、言い争っていたのだが、こんな発言があった。「君たちは人生を楽しむことが出来ないから、電車に飛び込んでしまうんだよ」
それは話の流れ中で飛び出した軽口みたいなもので、発言した方自身もあまり深い考えをもってそう発言した訳ではないと思う。でも、もしかしたら西洋のたぶんキリスト教的な世界観の持ち主の、自殺した方に対してあまり寛容ではない感性が計らずして露出したのかもしれないなー、ということは思った。
もう、ひとつ思い出したのは、ヘッセのことだ。ヘッセは若い時からずっと自殺のことを自分の身にひきつけて考えてきた作家のひとりだ。あまり集中的に読んだ訳でもないけど、彼の感性では人が自殺を選ぶことも出来るというのは、なにか気高いことのようにも思えたのだが。教師たちは反対のことを云う。自殺者とは結局、敗者、逃げた人、罪人、あるいは永遠に呪われし者?ヘッセはずっと考え、それに反対することは危険なことだ、ということを承知した上で、自分の考えを本に書いた。そんなことを思い出して、自殺=不名誉な、というのには同意できないなぁ、っていうことを思った。