猛烈な勢いでメモ ダッシュ

推敲してます。漫画とか。俳句とか。

飯島愛のブログは生きている

飯島愛さん(享年36)が急死してから1年がたった。ブログは当時のまま残されていて、ファン達は今でもコメントを書き続けている。飯島さんが最後に書いたブログへのコメントは6万を超えた。ファン達にとって飯島さんのブログは宝物になっていて、コメント欄はファン達の交流の場にもなっているのだという。

  飯島愛のブログは生きている 死後1年毎日コメント書き込まれる
──http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091219-00000002-jct-ent より
 
興味深い記事だと思う。ブログに書き込む人がいて、ブログが更新というか、僅かなりと変化するなら、その「ブログは生きている」と表現することは不自然ではないと思う。そして情報的には?、中の人を区別しない、というなら「飯島愛は生きている」?と言っても、やっぱり不自然ではない、って気もするのだ。っていうかネットの人の感性ではそっちの方を支持するじゃないかな、とさえ思うのだ。こうした側面は、もう映画にもなっているらしい。携帯に残った父のメッセージをずっと保存しておいて、毎日それに返信する限りにおいて、父は生きているような気がする、というような話だったと思うけれど、タイトルはなんだったっけ?(注1)あとハイクの「超短編」でもこんな短編を読んだ。

男はカモだった。逃避行に連れていった。「ギャーやめろ!」車で崖からダイヴをきめた。
「ガラガラッ!ドカーン!」アイツは死んだ。完全犯罪だ。」スイーツ(笑)
 
だが、それで終りではなかった。警察の事情聴取も無事とおりぬけたアタシにアイツのケータイ
が偶然残された。アイツはいいトシしてとあるサイトでユーザとして600を超えるファンを持って
いた。そのポエムやアフォリズム、そしてファンとの交流にアタシは......泣いた!
 
いま、アタシはアイツのフリをしてそのサイトで活動してる。ファンはそろそろ900を超える。
それがアタシの贖罪だ。

eakumさまの作品。タイトルはなし。
──h:keyword:超短編より
いうまでもなく、この小説は最近起きた結婚詐欺連続殺人事件を題材にしていると思う。あのときもネットのひと的には、被害者のブログみてた、そのことがショック、という反応を示していた気がする。
 
 
──(注1)ちょっと間違えた。タイトルは「忘れえぬ想い—忘不了—」。ぼくはこの映画を見ていない。検索したら、「粉川哲夫の【シネマノート】」http://cinema.translocal.jp/にその記述があった。

◆この映画で面白いのは、電話の使い方だろう。とりわけその留守番(メモリー)機能がうまく使われている。事故で死んだ父親のケータイに、原島大地は、寝るまえに電話して、メッセージを残す。彼が生きていて、ただどこかに旅行しているかのように。セセリアも、いまはなき彼のケータイにときどき電話して、彼の「いま電話に出られません・・・」という声を聴く。ラウ・チンワンは、賭に入れ込んで妻は子供を連れて出て行った。おそらく最後にその妻が入れたらしい留守番電話のメッセージを彼は、ときどきプレイバックして聴く。いずれも、ここでは、録音のメモリー装置が、一つの「意識」や「精神」として生きている。
◆この映画では、彼女や彼らは、最後に、そういう「意識」や「精神」と別れを告げ、電子的な記憶装置を通さない関係に入るのだが、現実にはこれから、電子的な記憶装置が、まさにマックス・ヘッドルームのように、一人歩きし、生身の人間よりも長生きするような時代が訪れるだろう。