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「おじいちゃんがおばけになったわけ」──謎解きものとしては、いまいち?

おじいちゃんがおばけになったわけ

おじいちゃんがおばけになったわけ


本屋さんで見かけて買った。まず買う前のぼくの心持ちを説明すると。ちょっとだけこの絵本のことはネットで読んでいて。突然死んだおじいさんが孫(エリック)の元に現れ、なにか忘れ物をしたような気がする、この忘れ物を思い出すまでは天国にいけないな、みたいな感じで二人はおじいさんの忘れ物を探すことになる。探索を続けていくと、その何かはエリックにも関係あることでした。さて、それは?──という興味もあって買ったのだった。以上のことは、この本を売る側のひとがそんな風にも書いていたのだから一種の謎解きものとして、ぼくが受けとったとしても仕方のないことだ。
それで読んでみたら。おじいさんの忘れものは、なんのひねりもない実にたわいもないことだった。従って「謎解きもの」として読むなら、がっかりするかもしれない、とぼくが書いたとしても、どうかご容赦願いたい。
でも絵本を読み終わって思ったのは、それはまぁ、文字通りたいした事ではなくて、死んだおじいさんと孫が夜を彷徨い、徐々に死を受け入れていく過程が大切なのだろう。おじいさんがゆうれいになって帰ってきて以来、主人公のエリックは、おじいさんとの冒険で眠れず、昼と夜が逆転して学校に行くことさえ、ままならないことになるのだけれど、それを見守るお母さんがまたのんびりしてて、「きょうも、学校、おやすみにしたほうがようさそうね」とか、あっさり述べていたりで愉快だった。おじいさんの忘れ物は、まさにエリックと一緒の時間を過ごし、過去を良いものとして振り返えること、それ自体でもあったと思うけれど、無事、さようなら、を告げ。エリックが「ぼく、あした、学校へいくよ」というところで絵本は終わっているのだった。