こんな話をかいた
「懐かしき街に溢れるゾンビかな」
帰郷してゾンビたちの群れを見た。
春のはじめ、わが街の住人は高台に移る。地下からゾンビが沸いてでるからだ。街はゾンビで溢れ、いっぱいになる。ゾンビ達は通りで、ウーウーと唸り、彼らなりのやり方で、春を祝う。互いのハラワタを抉りあいっこし始めるのだ。
けれど、それも一時のこと。長雨の季節がきて。雨がゾンビを溶かし海に流す。すると、また人々は街にもどる。排水口の掃除をするためだ。
「缶を投げ走り駆け去り山笑う」
森でゾンビ達に囲まれかけた。ゾンビはのろまだが、執拗な追跡者だ。はんぶん開けた缶詰を投げ、ゾンビたちの注意をそらした。サバ缶がゾンビの好物で助かった。
「百年をこえて歩むか山ゾンビ」
山で、山のようなゾンビを見た。
ゾンビはゾンビも食べる。ゾンビを食べたゾンビは大きくなり、さらに別のゾンビを食べる。ゾンビはこうして巨大となり、ついに大地が重みに耐えられなくなったとき。巨人ゾンビは地下へと沈みこむ。これが地上にゾンビが溢れない理由である、と伝えられている。
「屍と木乃伊」
ゾンビとミイラは無論、違う。どっちかいえばミイラの方が古く乾燥している。ミイラは「木乃伊」と書く。由緒ありげである。喩えるなら乾いた古本で火をつけたら、ぼっと燃えそうだ。ゾンビは「屍」。そのまんまである。ゾンビの方が若く生々しく、また松明には利用できない。
ミイラが歴史なら、ゾンビは伝説であろう。枯れたミイラは砂に埋まっていて、好事家が掘り起こさない限り眠ったままだが。ゾンビは自ら起き上がってくる。湿っぽい地中で待機し出番を待っている伝説であり、春の季語でもある。
※前に書いたものの書き直した。