こんな話を書いた
昼ね王クマイセン4世
その日、王さまはお城の中を歩いて、絵を見ていた。
その廊下には3枚の肖像が掛かっていた。
左からクマイセン1世、クマ勝利王とも呼ばれており、クマ王国の祖だ。
だが、もとはといえばクマ染料と風車脱穀で財をなした商人という記述もある。
次がクマイセン2世、この居城を作ったひとで、本当は造園が好きだったらしい。
最後にクマイセン3世、彼は盆栽好きで知られ、蔦植物の盆栽に生涯をかけた。
くま王国においては、薔薇愛好家とラン愛好家と椿愛好家が
血で血を洗う抗争を続けており、
クマイセン3世はそのいずれにも加担しないようにしてたって話もある。
現王クマイセン4世は、昼ね王とも呼ばれている。
昼ねが好きだったからである。
角を曲がると、また先王クマイセン3世の若き日の肖像があった。
これはお見合いのための絵だったそうで、この絵の出来があまりに良かったので、
彼は養子に迎えられたのだった。
先王の結婚式、お葬式の行列、お祭りの絵、などなど絵がつづていた。
昼ね王が気になったのは、絵の大きさだった。
部屋の大きさや天井の高さに合わせてか、これまた色々なサイズの絵があった。
一番、大きな絵は大広間に飾られた昼食の絵で、壁の一面を完全に占領していた。
小さい絵は、子供の頃に見せられた豆絵と呼ばれるもので。
現在は地下牢、という名の屋根裏の第二書庫に所蔵されている。
屋根裏の部屋が地下牢と呼ばれる理由は、昼ね王が幼少のおり、
折檻のために閉じ込められた部屋でもあったからである。
昼ね王はここに半日に幽閉されては、やはり昼寝をしていた。
豆絵は絵本の挿絵のような連続した絵画で、絵葉書ほどの大きさ。
皇帝学の教材に使われたものだった。
話はつまらないが、絵は面白かった。
昼ね王は壁に掛かった絵を眺めつつ、その豆絵のことを思い出していた。
……つづく