猛烈な勢いでメモ ダッシュ

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不機嫌な受賞者の風景

評価されて嬉しい、とは言わないこと。反対に私に賞を与える方へ、かるく軽蔑すらしています、と態度で示すこと。

ときに文学賞の授賞式に現れる不機嫌な人がそうなのだが。
傍目には凄く分かりにくいと思うのだ。そんなに嫌で軽蔑までしておられるなら、受賞を断れば良いではないか。賞だけは貰ってといてやる、というのであれば、授賞式だけ欠席してもいい。そうしないで、わざわざ式典に登場し不機嫌な顔して、ただ私は不機嫌だ、ということだけを述べていくって少し変わってる。でも、なぜか、思い出したような頃合いに、不機嫌な受賞者は現れ、彼にスポットが当たるのだった。まるで、それが良いものであるかのように。

端から見ているぼくは少し失礼な感じもする。文学賞は言ってやって良いのではなかろうか。無礼な奴だな、と。文学賞はそうは言わないので、代わりにぼくが言ってやりたくなる。不機嫌なのは、こっちの方だ。

けれど聞くところによれば、この文学賞というのは雑誌の販売促進の一環として始まったもので、本当の本当に文学命、文学賞こそ我が生涯の夢、虹色のゴール!みたいな人が登場し嗚咽してもらっても、文学賞の方が困った感じになる気もする。
 
やっぱ文学うんぬんより、出版社さんの存在が大きいというか、編集者さんの要請と粘り強い交渉の結果、不機嫌な人も出てきちゃうのだろうな。編集者さんは先生にお願いするのが仕事なのだ。販売促進の好機となればなおさら。

……先生、お願いします、授賞式には出てください、不機嫌な顔しか出来ない? 結構です、先生、思い切り不機嫌して下さい、ちょいと場を乱すくらいの勢いでお願いします、話題になるっス、いや先生がそこに現れるってだけで話題もちきり、レジェンドってものです、不祥、担当⚪︎⚪︎も涙っす、もう落涙の滝っす!……とかいう編集者さんのすごい勢いに気圧されて、不機嫌な人は壇上に登場したのだ。
……不機嫌でいいのね、はいはい、得意ですよ、不機嫌な顔……と先生も結果的にはノリノリで不機嫌しておられたのだろう。

つまり、不機嫌な受賞者登場の背後には、作家さんと編集者さんの信頼または葛藤、友情の物語的なものが隠されており。職業的、友情の物語である限りにおいて、決してこれは表には現れない。しかし、こうした分業の体制がなくなるなら、不機嫌な受賞者を見ることもなくなるだろう。

もし次に不機嫌な受賞者を見ることがあったなら、その背後にある分業に思いをはせるのがいいと思うのだ。こうした不機嫌さんを見ることは、本当になくなるかもしれない、時代の趨勢によりそうなる可能性だって否定できない。と思えば。なんだか無礼な人だな、と思うより先に……良いものを見ました……って感慨に耽ることも出来るに違いない。不機嫌な受賞者は、最後の電車にも似ている。