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「古池や蛙飛び込む水の音」についてのメモ

「古池や蛙飛び込む水の音」で検索した。
なんとなくだが水墨画的な感じもして。手練れた描き手が一筆書きするように、一息で詠んだ句なのかなあ、って印象を持っていたけど。それは間違いで、こんな推敲もあったんだよ、って話が面白かった。
初出は貞享3年春の「蛙合」って句会で、お題に応えて詠まれた句らしい。そんで芭蕉は「◯◯◯◯◯蛙飛ンだる水の音」まで考えてて、◯◯◯◯◯どうしようか、って相談したら其角が「山吹や」がいいっすよって言ったけど、芭蕉はこれを退け「古池や」に決めたらしい、ってネットに書いてあった。
「蛙」といえば「山吹」。「山吹の花のしづえに折知りて啼く蛙」みたいな古典の素養が問われるような話らしい。ぼくは分かってないけど。ともかく「古池や蛙飛ンだる水の音」まできた。
ウッキペディアによれば。……「飛ンだる」は談林風の軽快な文体であり、談林派の理解を得られやすい形である……だそうだ。でもこれもやめて。最終的に「古池や蛙飛びこむ水の音」に落ち着いたらしい。静謐な句の印象とは裏腹に、他人ともお喋りして賑やかな推敲風景みたいが、なんかいいなと思った。
古池や蛙飛びこむ水の音 - Wikipedia
古池や蛙飛び込む水の音


そしてこの句については、正岡子規が「古池の句の弁」というのを書いてる。
基本的には「古池や蛙飛びこむ水の音」が、なぜ凄いかを述べたものだとは思う。いってみれば、この句が他を圧倒して一番優れてるってこともないけど、俳句の歴史の中で新しい平面を開いたものとしてエポックなのだよ、って感じみたい。「俳句変遷の第一期を劃する境界線」
でも同時に「古池や蛙飛びこむ水の音」が出るまでがもう凡句ばっかり酷すぎ……「陳腐と平凡との堆積せる言葉の塊のみ」……って話にもなっており、宗鑑さんとかも含めてディスりまくりで。「月にえをさしたらばよき団扇かな」も「手をついて歌申しあぐる蛙かな」もぼくは好きだけどな、と思った。たずねてきた客の誤解がそうさせたのかもだけど。
ともあれ子規先生の論旨は乱暴なまでに鮮明で。これも陳腐、これも平凡、これも月並み、ってリストを長々と見せられた後やっと「虚栗集」「野ざらし紀行」の話になり、

翌々貞享三年、芭蕉は未曾有の一句を得たり。
 
古池や蛙飛び込む水の音 
 
これなり。

のくだりは、ちょっと爽快であった。

図書カード:古池の句の弁