猛烈な勢いでメモ ダッシュ

推敲してます。漫画とか。俳句とか。

「スカイ・クロラ」見ました。

最近、ぜんぜん本が読めないのであった。買ったはいいけど、ぜんぜん読みすすめられない本と睨めっこしてても、なんだし。それでTSUTAYAさんに行って、このDVDを借りてきてみました。
タイトル『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』。原作は森博嗣。監督は押井守。制作はProduction I.G。2008年8月2日にアニメーション映画として公開された作品だそうです。
見ていてぼくは気持ち良かったかな。青空とか、窓から顔を覗かせると必ず吹く風とか。なんか主人公のパイロットたちは戦争をしているのだけれど、みんな子供のままで、死んでも何度でも蘇り転生を繰り返し、まるで同じ時間に閉じ込められたような状況を生きてらしかったです。閉塞感いっぱい?まあ、それはそうなのかもしれないけど、主人公のカンナミ・ユーイチさんはとても淡白な方で、敵機を落としたり、ビール飲んだり、ビーフパイ食べたり、娼婦の所に行ったり、まるで永遠の夏休みの中にいるようにも見えました。そうそう、これはやたらと煙草に火をつける映画でもありました。着任して戦闘機から降りては一服、空を見上げては一服、基地の指揮官とふたたび仲良くなるのも、ちょっと煙草もらえる?、って一言からだったし。とはいってもあまり煙草の煙りを吹かすことはしなくて。マッチで火をつけては、すぐに地面に捨てる。煙草がパイロットたちにとっては重要なコミニュケーションツールのひとつのようでした。
この映画の世界の有り様を俯瞰的に説明するシーンもありました。基地の女の子指揮官クサナギさんがしこたまワインを飲んで主人公と語るのですが、この戦争がゲームだとして世界の方が現実性を実感するためにその戦争ゲーム=他人の死(バーチャルなものでは代替できない)を必要としているんだわ、プレーヤーである私たちはそのゲームのゲーム性に中毒をおこしているみたいな話でした。そうして酔っぱらい「殺して欲しい、それとも殺したい?」っていう修羅場シーンに雪崩れこむのですが、たぶんクサナギ的には、ゲームを終了させること=バーチャルなものでは代替できない現実性=死、となっており、より確かな生を実感するためにこそリアルな死が要請されているのだ、って話なんだと思いました。
そいで、もう一度、修羅場があって、主人公は「君は生きろ。何かを変えられるまで」っていい、クサナギさんをギュッとしますが。主人公自身はあまり世界を変えたいと思っている風でもなくて。映画の中では最後になる出撃の途中、海岸線を見下ろしつつ以下のような独白をします。

いつも通る道でも違う所を踏んで歩く事ができる。いつも通る道だからって景色は同じじゃない。それだけではいけないのか 。それだけの事だから いけないのか?

つまり。くり返しの中に閉じ込められているのだとしても、くり返しの中の細部の変化に注目する生き方でも、ぼくはぜんぜん平気なんですけどー、みたいな?──実際、ちょっとでも違うなら完璧なくり返しではない訳で、これはくり返しにすぎないという抽象が斬り捨てるささやかなものへの愛情?を彼は語っていたのかな、とも思ったけど。──ともかく、
そんな風にして映画の最後、「これはぼくの戦闘だ」とかいいつつ、彼はひとりティーチャーと呼ばれる伝説のパイロットに挑み破れます。けれど主人公の不在を知らせる空はどこまでも広くて。残されたひとびとは、しばしの間それを眺めるけど、ずっと眺めている訳にもいかないから、またそれぞれの日常にかえるみたいな雰囲気で、いちおうの終わりらしかったです。
ドラマのテーマ性からして、あまりドラマッチックな盛り上がりは期待できないのだと思うけれど。戦闘機が飛び立ってゆく空を見上げるシーンとか、ボーリングのシーンとか、ワインを飲むシーンとか、魅力的なシーンもいっぱいで、ぼくは楽しめました。
あとクサナギさんはほとんどオヤジですね。煙草とアルコールが好きで、顔の表情も乏しいけれど。内側にはグッと押し殺したものを持っていて。たとえば仕事(?)の話となると、いきなり感情を爆発させたりもします。戦死した同僚の名誉が傷つけられたと思えば、大声で怒るし。上司が意図的な怠慢によって現場を潰そうと計ったなら、すぐにその上司の元に駆けつけ猛烈な抗議もしてくれます。そして特別な夜がくればワインを飲んで、社会における彼らの仕事の意味を俯瞰的に語り、誰よりも絶望している、ってことを伝えてもくれます。