猛烈な勢いでメモ ダッシュ

推敲してます。漫画とか。俳句とか。

年寄りは春を数える

「元日や手を洗ひをる夕ごころ」(芥川龍之介

名句です、って紹介されていた。この「夕ごころ」はたんに夕方ですね、みたいなことで。「元日」なのに特別なこともなく、365日の中の1日の夕暮れとして、フラットに捉えている感性が新しい……って、たまたま見たページには書いてあった。
ぼくは分かる気がする。でもお若い方からすると、どうなのだろう。だって。いまは元旦でもお店は開いてるし、ファミレスも、コンビニも、大晦日、元旦、関係なしだし。この句が詠まれたときにはあった新しさみたいのは、伝わりにくくなってるかも、とも思った。

数えの場合。お正月にみんな一斉に、ひとつ歳をとっていた。むかしの元旦は、みんなのお誕生日会みたいなものでもあったかもね、って話を読んだのだった。へー、と思った。そういえば旧暦の場合、「新春」は文字通りっていうか、暦どおり、「春」だったことだろう。春がきてまたひとつ、年をとりました、という実感はより素朴なことだったかもしれない。

こんなオンラインブックつくった

 『お手軽るチョコレシピ集』
  絵 aruerula 文 Hikokuma
  http://bccks.jp/bcck/148353/info
 
 
バレンタインデーをめぐる超みじかい話。2011年にまとめたもの。
今年また少しだけ書き直して、アップしなおした。
d(・(ェ)・)
 
 
 
 

こんな話かいた

無限のニュアンスに開かれたニャー

「ニャー」だけですべてをすませよう、という人は多くはない。
が、まったく斬新な試みだ、という訳でもない。何をいっても「ニャー」
万能の「ニャー」を信じるニャーニストはこれまでもいた。
とあるニャーニストは、感情表現の不足を心配する人にこう答えている。

「あなたが感じられるという困難。感情の無限性とニャーの有限性の困惑について。私は楽観的に考えています。感情の無限性と口にされるニャーの無限性は正確に対応している。従って、まず発音されるニャーを整えて、それから感情の問題にかえっても遅くはないんじゃないですか。一言でいえばニャ」
 
 

  
  

まんが 推敲ちゅう

くまSF ロボットの尻尾


(1)未来のロボットには尻尾が つけている なんでかっていうと
(2)緊急停止ボタンの装備が 義務づけられたから そこで尻尾 
(3)この尻尾はコンセントの 形をしていて これを抜けば    
(4)止まる…ってデザインが 採用されたからなのだった