「春風や闘志いだきて丘に立つ」について
「道灌山事件」で検索してたのだった。wikipediaの高浜虚子の頁によれば。1895年(明治28年)12月。
……自身の短命を悟った子規より後継者となることを要請されるも「アシは学問する気はない」と拒否した「道灌山事件」が起きた。……って出来事なのだが。
……その時子規は「死はますます近づきぬ文学はようやく佳境に入りぬ」とたたみ掛け、我が文学の相続者は子以外にないのだ。その上は学問せよ、野心、名誉心を持てと膝詰め談判したという……
漱石の『こころ』に出てくる「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」を、ふと思い出してしまったけど。虚子は、こう応えたらしい。
「人が野心名誉心を目的にして学問修行等をするもそれを悪しとは思わず。然れども自分は野心名誉心を起こすことを好まず」
高浜虚子に関するメモ その 12 「道灌山事件」
https://blog.goo.ne.jp/jiro-taniguchi-fan/e/489ff2a6626787445a7d2d2ac58c6aeb
で。
「春風や闘志いだきて丘に立つ」1913年(大正二年)に立ち返ると。
この句に現れた「闘志」というのが少し不思議な感じもしてくるのだった。それは、むかし友人に煽られたが退けたものを、選び直したかのようでもある。と思った。
虚子、冠婚葬祭す~高浜虚子~
https://japanknowledge.com/articles/meyasucho/02.html