猛烈な勢いでメモ ダッシュ

推敲してます。漫画とか。俳句とか。

こんな句をよんだ

散歩に出て気づいた。……という訳でもないのだが。
広く更地になっている一画があった。看板が出てて、すぐに基礎工事が始まりそう。以前ここには古い家があって大きな山桜が枝を広げており春になると、向かいの家の桜と一緒にアーチ状の花を通りにかけていたのだが。両方の木は切られて、いまは綺麗さっぱり。仕方ないのかな、って気もするけど。うーん、とも思った。
駅の方に、さらに歩くと。ソメイヨシノが並んでいる通りがあって。まだ咲いてなかった。まったく咲いてなかったけど。……そろそろ咲くぞ……って感じ?はひしひしと伝わってくるようだった。
 
 もう咲くぞっていう桜並木かな ><
 
 
 
  

こんな漫画かいた

漫画週刊誌の日

 
1959年(昭和34年)3月17日、日本初の少年向け週刊誌『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』が発刊された、らしい。漫画誌とはいいながら読み物、活字が多かった、とも書いてあった。
 
「漫画のコマ番号」のはなし
竹熊健太郎《地球人》先生、 2017年6月29日のツイートより
https://twitter.com/kentaro666/status/880334758227492865
 

 

「春風や闘志いだきて丘に立つ」について

 
道灌山事件」で検索してたのだった。wikipedia高浜虚子の頁によれば。1895年(明治28年)12月。
……自身の短命を悟った子規より後継者となることを要請されるも「アシは学問する気はない」と拒否した「道灌山事件」が起きた。……って出来事なのだが。
 
……その時子規は「死はますます近づきぬ文学はようやく佳境に入りぬ」とたたみ掛け、我が文学の相続者は子以外にないのだ。その上は学問せよ、野心、名誉心を持てと膝詰め談判したという……
漱石の『こころ』に出てくる「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」を、ふと思い出してしまったけど。虚子は、こう応えたらしい。
「人が野心名誉心を目的にして学問修行等をするもそれを悪しとは思わず。然れども自分は野心名誉心を起こすことを好まず」

 高浜虚子に関するメモ その 12 「道灌山事件」 
 https://blog.goo.ne.jp/jiro-taniguchi-fan/e/489ff2a6626787445a7d2d2ac58c6aeb


で。
「春風や闘志いだきて丘に立つ」1913年(大正二年)に立ち返ると。
この句に現れた「闘志」というのが少し不思議な感じもしてくるのだった。それは、むかし友人に煽られたが退けたものを、選び直したかのようでもある。と思った。
 

 「増殖する俳句歳時記」
http://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=19970311,19970310,19970309&tit=19970311&today=19970311&tit2=1997%94N3%8C%8E11%93%FA%82%CC

 虚子、冠婚葬祭す~高浜虚子
https://japanknowledge.com/articles/meyasucho/02.html