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「作品番号850」館内を走るランナー

「館内を走るランナー」作品として英美術館に登場 | Excite エキサイト
  
[ロンドン 30日 ロイター] 英国立美術館テート・ブリテンに毎時30秒ごとにランナーが館内を走るという「作品」が登場した。当地のアーティスト、マーティン・クリード氏による「作品番号850」と題された同作品は、7月1日から4カ月間「展示」される。
クリード氏は声明で、走ることが好きだと述べるとともに、作品について、人生の中で静止の象徴が「死」であるならば「生」は動くことだとコメント。早く走ることはまさに死の対極にあるもので、今回の作品を躍動感の実例だと説明している。

まぁ、「アート」なんだと思う。デュシャンの「泉」以来(?)観賞するこっちだって耐性がついて、そうそう驚いたりは出来ない。アーチストがこれは芸術作品だといい、美術館がそれと認めたから芸術になったという側面もあるだろうが。なにも美術館にこだわらなくても──その気になりさえすれば──誰だって「アーチスト」を自称しても良いのだから。
たとえば一人の女子大生がどこかのおじさんとホテルに行ったときの風景、繁華街のネオンや、ホテルの内装や、みだれたシーツの皺や、まだ夜のあけ切らぬ通りを横切るネコ等の写真を携帯に撮り、ネット上にアップして、これを「アート」として差し出したとしても別に驚かない、っていうか異論はない。誰かに文句を言われたなら、それこそ「私は芸術のための芸術を信じる。以上、私の信条告白おわり!」と答えてやればいい。
同様のことを言う一応の権利のようなものを、この時代の人間はみな保留しているのだと思う。つまり「アート」という言葉は、ぼくらがちょっとだけ変なことをして他人に向けそれを公開したときの、とても強力な口実になりうる。妙なことを口走り周囲から冷ややかな空気が流れたときも、滑って転んで間の悪い思いをしたときも、「えへへ、パフォーマンスですよ」って云えば平気。