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猛烈な勢いでメモ ダッシュ

短い話とか 俳句とか

ねっとサーフィンごーごー、吾妻ひでお→谷山浩子

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ともかくなんとなく。吾妻ひでお公式HPを見た。トップページには万年筆で描きこんだという変な絵があって、ひでお日記には相変わらず足の太い女子高生のマンガが描かれていた。ぼくがこのサイトを見る理由は彼の描くマンガが見たいから──というより、まだ生きてますよね、という確認に近い。ぼくはマンガ家としての彼をすごく尊敬しているけど、まあ「失踪日記」の人だし。
それから谷山浩子プライベートページを見た。熱心なファンという訳でもないので、谷山浩子がサイトをやっているなんて、つい先日まで知らなかったのだけれど。トップページから「過去の日記の目次」というリンクをたどると、「(とても古い日記)96年10月」という項目があったので、そこをクリックしたら、こんなことが書かれていた。

96.10.15

「更新頻度がすごい」「頭が下がる」というようなコメントを何人かの人からもらった。
確かに自分でもこのペースはすごいと思う。だけどこれはわたしがホームページ作りを始めたばかりだからだ。最初のうちは熱中するけど、そのうちふと何か他のことに気を奪われて忘れてしまうというのがいつものパターンなのだ。
今回はいつごろその「ふと」がやってくるか、考えると不安になるので考えないことにする。
それにしてもホームページというのはみょうな閉塞感があるものだ。
パソコン通信のようにいろんな人がどんどん書き込んでいって変化していくわけではない。自分が作り替えなければ変化しないのだ。すべて自分の自由にできるけど、自分しか働きかける人間がいない。壁に向かってひとりごとを言っているみたいだなと思う。
だけど、これがもし日記帳に何か書いているとか、何か作品を作っているというのだったら、「みょうな閉塞感」なんてことは思わないだろう。ひとりの作業なのに、いろんな人がそれをじっと見ている。この感じが「みょう」なのだ。
他の人の存在は、ここでは気配として感じられるだけだ。アクセスカウンタの数字が少しずつ増えていくとか、リンクを張った相手がいつのまにか張り返してくれているとか、そういうかすかな足音がきこえるので、誰かが近くにいるらしいことが辛うじてわかる。
すごく静かな感じがする。パソコン通信はテキストだけの画面なのににぎやかで、ホームページは静かだ。ほかの誰のページへ行っても、静かだなあと思う。


──谷山浩子プライベートページ (とても古い日記)
  http://taniyama.hiroko.com/hiroko/diary/9610.html より

これまた、なんとなく。味わい深いな、と思った。