猛烈な勢いでメモ ダッシュ

推敲してます。漫画とか。俳句とか。

「私の絵は下手だ」問題

絵の上手下手の話をすると、自分の絵の下手さも話さなきゃみたいな感じになって、ぼく的にはつらいものがあるので、思わず顔をそむけたくもなるのだが。とある人がこう呟いていた。

……絵を描けるひとはいいな。さっと一枚の絵を描いて、いいね、がいっぱい。こちらとら頭をひねり気の利いたつもりのことを幾ら書いても、なんにもナッシングだよ、いやになっちゃう、絵を描けるひとはいいな、ははは……
ぼくは鼻をひくひくさせてしまう。

それは、いわゆる絵師さんって呼ばれるひとたちの話かもしれない。ぼくも描いているけど。描けば、いいね、の嵐なんてことはついぞない。つまり?ぼくも描いてはいるのだが。描けるひとではない。この違いは微妙なようでも、絵を見れば一目瞭然である。端的にいえば、ぼくは拙い。

ああ、ぼくは拙いな……ということをぼくが書いても、あっそ、って感じで。その後に何の展開もないのだ。

また、こんな話も読んだこともある。
その人によると絵が上手い、というのにはふたつのパターンがあり。ひとつは理屈も何もなく芸術は爆発だ的に奔放な線をひき、地域の展覧会であっさり金賞をとっちゃうような、絵がうまい、である。もうひとつは手先が器用で、正確な線がひけるので、デッサンとかを描くのが苦にならないタイプで、私はこのタイプの絵が上手である。

で。

イラストが描いてあって。 デッサンタイプの私が、芸術は爆発だタイプの子の後ろ姿を見てる。私は彼女みたいなタイプの方が良かったなあ。……(嫉妬の眼差し)……誰しも自分にないものを求めてしまいますね、的なお話だと思うのだが。またぼくの鼻はひくひくする。
おっしゃるとおり、その人のイラストが上手で、線も確かな感じで、スッひかれてて、これは手練れですな、的雰囲気がぼくにも分かったからだ。簡単にいうと、彼女が求めるものとは少し違ったかもしれないけど。彼女の言うとおり彼女は「絵が上手い」のだった。私はふつうに絵が上手い、と書いてそこになんの衒いもない。そのとおりなんだけどー。……私は絵がうまい、それは確かなことだが、わたし程度に上手い人などいくらもいますよ、ぜんぜん大したことではないです、私の嫉妬対象は別にあります、とは。ぼくには書けないことだ。

それはたんに、ぼくが下手だからで
  ……それはもう分かったから、いいんだけどさっ。

「私の絵は下手だ」という話は、あまりしない方が賢明である。なぜって、私の絵は下手だ、と書いても、ぽつねんとしてしまうから。ぼくの場合はそうなるけど。こういう面もあるかもしれない。

私の描いた絵と私の絵の話は、自己言及的?にもなっており、それがいささか複雑で。他人の目から見たとき、この言及は肯定すべきか、否定すべきか、どちらが書き手を肯定にすることなり、より社交的なのか、読むひとにとって判断に困る……という一面である。
私の絵の話はなんか、めんどくさい。