猛烈な勢いでメモ ダッシュ

推敲してます。漫画とか。俳句とか。

最近、知ったパンプキンについてのメモ

カボチャを英語でいうと

カボチャを英語でいうと……"Squash"(スクワッシュ)……らしい。
"pumpkin”(パンプキン)は、だいだい色の大きなカボチャ、ハロウィーンで使われるもの、日本のカボチャは"Squash"……と書いてるページもあった。たぶん、”Squash”の方がより広くカボチャ全般を指していて、その中に「パンプキン」は含まれます、って理解であってると思う。でも。オスートラリアでは、だいたいぜんぶ「パンプキン」っていってるよ、というページもあった。

pumpkin drop パンプキンドロップ

大きなパンプキンを高い所から落とす……だけの行事らしい。「pumpkin drop」で検索したら動画もあったので見てみたのだが、大きなパンプキンを高い所から落として……うおー……って歓声をあげる行事で間違いないようだった。以下、ぼくが推測するにだが。収穫祭で作物の重さを競う、いわば競技用・巨大カボチャを栽培したのはいいけれど

 で、
  これどうすんの?……ってなって
 じゃ落としてみる?クラッシュ楽しそうだしさ
 おお、それいいね、なんかアメリカ的じゃん!

とかいうノリではないのかな、と思った。アメリカ人のパンプキンに対する情熱はぼくから見ても、一風変わってる。

Squishing of the Squash

これも動画で見てたまたま知ったのだが。オレゴン動物園では「Squishing of the Squash」と呼ばれる毎年恒例の儀式があり、巨大なパンプキンを象にプレゼントして粉砕してもらってるそうだ。
 
 

名刺としての作品

むかし、こんな先生の話を読んだ。
先生は教師なのだが小説も書いていて、それは本にもなっている。でも、あまり売れていない。出版社に顔だすことになって、寒々とした世間話をする。さて帰ろうとすると、編集者が言うのだった。
「先生、これ。少しはもって行って下さい」
先生は自分で書いた本を20冊ほど渡される。風呂敷に包み帰路につく。荷物が重くて、だんだんイヤになってくる。電車に乗って小一時間。駅につく 。先生は少しばかり投げやりな気分。改札を通るのが面倒くさくなり、ホームから降りてしまう。そうして、家がある方向に線路を突っ切ろうとして、駅員さんに怒られる。
「ともかく、こっちにきなさい!」
と駅員さんが怒鳴るので、先生はその言葉に従う。そうして駅長室に入り詰問を受ける。
「あんた、いったい、どういうつもり?とりあえず身分証を出して」
そこで先生は閃く。手にした風呂敷包を机の上に置き、開いて言う。
「見たまえ。私の本だ。私が書いた。著者紹介の写真を見るがいい。私だ。私が露わにいる。この本が私だ。情熱なのだ。もっと目を凝らして。見たまえ。揺らめく炎が見えるだろう?下手な身分証よりは、よほど詳しく私の人となりを諸君に伝えることは確実。あげるから読みなさい」
 
  
この話も、どことはなく好きなのだが。
自分自身を紹介しなくちゃならないときに。……私はこういうものです、こんなのを書いています……って述べ作品を示すっていうのも、ネットではままあることかな?という気もしないでもない。それもたぶん、燃える魂の名刺なのだ。
  

ハロウィン・ノート

特別な思い出もあまりないのだが。いつの間にか、ハロウィンはやってきて恒例の行事か風物詩のようになっていた。本当に知らない間に。カレンダーの中にまで入ってきて、9月をめくるとそこにオレンジ色の南瓜お化けがいたり、とか?

一番はやくやってきた南瓜お化けは、百円ショップの季節コーナーにいた。何がはやいって。夏休みが終わり9月がおとずれると同時に、南瓜お化けは並んでいた。南瓜お化けは10月の終わりまでそこにいて、11月となるとクリスマスと交代しているようだった。近所のお店での話だけど。歳時記的にいうなら、ハロウィンは秋の季語、人事で間違いない。

いつだったか農協の収穫祭ってイベントに行ったら、大きな南瓜が売っていた。直径30センチほどで。一個300円、食用ではありません、って書いてあった。おお、これか、とぼくは思い早速、買い求めた。
家に帰って南瓜の中の種をスプーンで取り出し、果物ナイフで三角の目を穿った。口の形には苦労した。苦労しすぎて口裂け女みたいになった。……のちにこれは強度的な脆弱性を露呈し、二日ほどで口が閉じてしまったのだけど。それはともかく……玄関先に置いて夜を待ち、中にロウソクを灯した。夜とはいえ周りが明るすぎて、あまり映えなかったけど。ぼく的には大満足だった。……おーおー、こいつ、ジャック・オ・ランタンいうんだぜ……って独りごちた。

新聞にもハロウィンは登場するようになっていた。なんでも都会ではハロウィンの仮装をしたお客さんが電車の中でも羽目を外して、少しだけ問題にもなって、議論をはじめた人もいたみたい。別にハロウィンを弁護する訳ではないのだが、年末の酔っ払いさんとか、駅のホームで列をなし万歳三唱しちゃう学生さんとか、昔からいた訳で。ハロウィンだけが悪い感じも、ぼくはしなかったけど。ただハロウィンというイベントへの、人々への親近感?みたいのをみる上では、興味深い記事であったような気もする。

ところで、ハロウィンの南瓜は、その後どうするの?……あとで食べるススタッフはいるの?……という素朴な疑問もあった。だいたいは観賞用のカボチャだと思うし家畜の餌か肥料か、でなきゃ燃えるゴミでしょう?切り花と同じ?
ただ食べらないこともない、という話も読んだ。種とかは煎ってかじるとビールのつまみになるよ、とか。……巨大南瓜もね。美味しくないだけで。超工夫すればいけるっしょ?……とか。ぼくは食べなかったけど。

ふいに巨大南瓜の値段が気になって調べた。 2013年のニュースだったけど。910kgにまで大きくなった南瓜の種は、イギリスの種販売会社が170ポンドで買ったそうだ。うーん、種か。ネットでハロウィンの南瓜を買おうとすると。……直径40~45cm、重さ25kgくらいの大きさで4800円だよ!……ってサイトがあった。これぐらいが相場なのかな?

っていう風にネットを見ていたら。 「ハロウィンに巨大カボチャをプレゼントされたゾウたちの食べっぷりが凄まじい!!」 って動画が紹介されてて。おお、って思った。すごく感心した。巨大な南瓜はゾウに食べてもらうのが、一番ふさわしい気がした。なんとなくだけど。
 
 
  

こんな話かいた。

風vs空

 
空っていいな、って改めて思った。なんでもいいのだ。最後に空を持ってくれば。なんとなく、それっぽい感じする。いちおう。絵は完成する。ような気がして、ポエマーは空を見上げる。

  困ったら、空を見よ
     って言った詩人さんもいた

風派と空派のふたつがあるのかも。あらゆる答えは風の中に、という風派と。ただ空を見よ、という空派のふたつである。