猛烈な勢いでメモ ダッシュ

推敲してます。漫画とか。俳句とか。

こんな話かいた

ふたりの本

思い出の本を手にとった。すっかり忘れていた。
むかし彼女と二人で読んだ。笑いながらベットの上で。
愉快な読書だった。手にとり目をおとすが、
うまく文字を追うことが出来ない。
笑ってもいいが、何かを読み解いてのことではない。
同時に二人の読者を要求する本なのかもしれない。
二人でないと読めないのだ。
 
 
 
 
 
  

年寄りは春を数える

「元日や手を洗ひをる夕ごころ」(芥川龍之介

名句です、って紹介されていた。この「夕ごころ」はたんに夕方ですね、みたいなことで。「元日」なのに特別なこともなく、365日の中の1日の夕暮れとして、フラットに捉えている感性が新しい……って、たまたま見たページには書いてあった。
ぼくは分かる気がする。でもお若い方からすると、どうなのだろう。だって。いまは元旦でもお店は開いてるし、ファミレスも、コンビニも、大晦日、元旦、関係なしだし。この句が詠まれたときにはあった新しさみたいのは、伝わりにくくなってるかも、とも思った。

数えの場合。お正月にみんな一斉に、ひとつ歳をとっていた。むかしの元旦は、みんなのお誕生日会みたいなものでもあったかもね、って話を読んだのだった。へー、と思った。そういえば旧暦の場合、「新春」は文字通りっていうか、暦どおり、「春」だったことだろう。春がきてまたひとつ、年をとりました、という実感はより素朴なことだったかもしれない。

こんなオンラインブックつくった

 『お手軽るチョコレシピ集』
  絵 aruerula 文 Hikokuma
  http://bccks.jp/bcck/148353/info
 
 
バレンタインデーをめぐる超みじかい話。2011年にまとめたもの。
今年また少しだけ書き直して、アップしなおした。
d(・(ェ)・)
 
 
 
 

こんな話かいた

無限のニュアンスに開かれたニャー

「ニャー」だけですべてをすませよう、という人は多くはない。
が、まったく斬新な試みだ、という訳でもない。何をいっても「ニャー」
万能の「ニャー」を信じるニャーニストはこれまでもいた。
とあるニャーニストは、感情表現の不足を心配する人にこう答えている。

「あなたが感じられるという困難。感情の無限性とニャーの有限性の困惑について。私は楽観的に考えています。感情の無限性と口にされるニャーの無限性は正確に対応している。従って、まず発音されるニャーを整えて、それから感情の問題にかえっても遅くはないんじゃないですか。一言でいえばニャ」