猛烈な勢いでメモ ダッシュ

推敲してます。漫画とか。俳句とか。

アロエのミニ盆栽

アロエミニ盆栽

 
アロエミニ盆栽

 
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アロエの茎?を、さっさと木質化させちゃうコツのようなもの。

 
 
 
撮影に使ったもの。
iPadダイソーのラッピング・コーナーで買ってきた和紙。アルミシート。トレース台
ダイソーは便利だな。背景に置いた和紙とか。簡易レフ版にも使えるアルミシートとか。100円で買えたし。
トレース台は大昔に買ったきり、殆ど使ったことなかったけど。利用できて良かった。
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こんな話を書いた

桜は巨大な菌類である
 
猫と私は同じ空間を共にすることは出来ない。猫が私を退けるか、私が猫を排除するか。二つに一つである。夜になると我が家の庭を横切っていく野良猫の話だ。なぜ猫は落し物をしていくのだろう。毎日のようにそれを拾っていると。そんな考えに憑かれるのだった。猫と私は花壇というひとつの場所をめぐって闘争している。ふかふかの乾いた黒土が好きなのだ。
私が猫への悪態を述べると、決まってこう言う人がいる。……なんで。猫、可愛いじゃん。おしっこもウンコも肥料になると思えば……私は長椅子に横になる。腹をたてないように。深呼吸が必要だ。花を植えよう、と考える。棘のある花がいい。 
肥料にしたかったら、それなりの手間をかけねばならない。風通しの良い場所で良い微生物の力をかり、時間をおき熟成させるとか、いろいろ。直の落し物は植物の根をいためつけ枯らす。当たり前ではないか。当たり前ではないのか。
 
そういえば。高貴な芳香で旅人を誘き寄せては眠らせ、横たわった旅人の体から直接に養分を吸い取り咲く花の話を読んだ。猫の落し物もだが旅人の屍体もまた植物の根をいためるだろう。屍体の分解にも分業があって、まず鳥がきて、狼がきて、小さな虫がやってきて、という順序があると思うのだ。木の根元に旅人の遺体を埋めても、たぶんその木は枯れるだろう。ああ。植物ではなくて菌類なのかも。あるいは腐敗の速度に負けないくらい過剰な養分に適応した独特な生体圏の広がり。そういうものなのかも。桜の季節になったら、より詳しく話したい。来年の四月一日に。
 
 
 
 

「物理的に無理」

物理的に無理
 
また突然、思い出したのだが。もう、ずいぶん前。「げんしけん」を見ていたら。
波戸くんと付き合っているの?と問われて。班目さんがこう言うのだった。
「ない、ない、物理的に無理だし」
この言葉の意味は波戸くんが女装している男なので、恋愛の対象にはならないし、合体もできないよね……「物理的に」……ってことなのだった。そこでBLユーザーでもある波戸くんは思うのだった。……「物理的に」ですか。まあ、そうですね。ふつうは……
この「物理的に」について。……「わたし、気になります!」……なのだった。
 
また別の日に。テレビで将棋を観戦していたら、こんな解説があった。
……おお、なるほど相手の打ちたい場所に駒を置いて、物理的に相手が駒をうつスペースをなくすのですね……
将棋の盤上の話に「物理的に」が出てきて。もやもや。同じマス目の同じ場所に二つの駒を同時に置くことはできない、っていうけど。駒の上に駒を置けば、いいんじゃないだろうか。……物理的に可能でしょう?……と私は考える。駒の上に別の駒を置くことは出来ない。ひとつのマス目には、ひとつの駒だけしか配置できない、というのはただ将棋のルールが決めている事な気がして。「物理」が出てくる幕はない気がしたのだ。
「存在、甲と乙は同じ空間を占める事は出来ない」って話なのかもしれない。それならいっそ……「哲学的に」……とでも言ってもらった方が個人的にはしっくりくる。
けれど。「物理的に」を「哲学的に」に置き換えると、またちょっと違う気も。「物理的に」が暗に示していたのは……見れば一目瞭然、実際的にですな……ってな事だった気もするし。それを「哲学的」に言い換えたら、衒学的な?雲がもくもくして、反対な感じがしてくるのだ。たとえば。
……波戸くんと付き合うのは「哲学的」に無理……とか。
……同じマス目に二つの駒を同時に置けないのは、「哲学的」な要請である……とか。
 
 
 「誰もそんなこと言ってないわよ!
  ロマンチックでプラグマチックだって言ったの!
  プラグマチックっていうのは実際的って意味ですけどね!
  念のため!」 by結城明日奈
  
 

こんな話を書いた

花壇防衛戦
  
ふかふかの土が盛られた我が花壇は古レンガ仕切られ、丸い石が並べられている。積まれたレンガは城壁で、石は城を守る衛兵のようだ。敵は野良猫。猫の奴も、ふかふかの土が大好きで。隙あらば自らの閑所にせんと闇に乗じてやってくる。正直いって頭にくる。野良猫の、すました足取りを邪魔するために丸石衛兵は必要なのだ。しかし、そろそろ花を植えねばなるまい。猫に快適な座り心地を与えないために。
 
 
雨音 
 
学校では主に雨音を聞いている。雨音を加工し音符に置き換えると。何者かになれるのだ。
 
音楽鑑賞をしてチケットを貰った。チケットをパンに交換して口にいれるのが、お仕事だ。良き労働者は音楽のレビューを書き、パンの味の感想を述べる。もぐもぐ。
 
春を売るお店で春を買い、売り子さんにお説教をした。
「何時までもこんな商売を続けていてはいけないよ」
売り子さんは微笑んだ。
「ありがとうございます、売り子にも気をかけて頂きご配慮感謝です、いずれは仕事を選び冬にも備えるよう精進いたします」
良いお説教が出来て嬉しい。何かしらの義務は果たしたようで。
 
 
 
 
 

こんな話を書いた

作家と世界の崩壊
 
お茶の時間にも、クマは悩んでいた。久しぶりに漫画を描こうとしたら、ペンが重かったのである。いったい何トンあるのだ、というほどに重く、とても持ち上げる事など出来なかった。一日描かないと、ペンは一グラム重くなり、二日描かないと二グラム重くなり、三日かかないと四グラム重くなり、倍々で重くなると言われている。いったい何日描いていないのか、クマは考えたくなかった。こうしてる間にもペンは、ねずみ算的に重くなり。いずれはペンの質量は空間自体を沈め始めるだろう。ペン型ブラックホールの誕生である。ゆえに作家がもう一度、ペンをとるのは真に英雄的なことなのだ。……と、クマはウサギに語った。
 
 
 
 

こんな句をよんだ

散歩に出てコンクリートの花壇で咲く可愛い紫陽花を見た。コデマリで淡いピンクだった。土壌はややアルカリ、石灰を一握り蒔いたのかな、って考えた。小学生的推理である。
 
雨粒に滲む紫陽花リトマス紙
 
 
 
 

「ヘビイチゴ」と「宵待草」

蛇苺には思い出がある……と書いて。子供の頃に見た小さな赤い実や、散歩で出て見かけたそれが、確かに「ヘビイチゴ」だったのか?不安になって検索してみたのだが。よく分からなかった。ただ子供時代、我々はその実を指して「蛇苺」と呼んでいた、くらい事でよいのだが。
 
それで「宵待草」のことを、ふと思った。「宵待草」は竹久夢二の詩で明治45年、雑誌「少女」に発表され、後に流行歌にもなったらしい。けれど「宵待草」という草は植物図鑑にはなく、「マツヨイグサ」の言い換えでしょう?って感じらしい。これも竹久夢二はその花を「宵待草」と呼んだ、でいいと思うのだが。
  
それより「宵待草」は実在した女性との逢瀬があって、という話を読み。ふむ。大らかだな、って。なんとはなしに思った。

竹久のことについては寡黙だったが、尋ねられると笑って短く応えたという。晩年はあまり外出することもなく、大きな虫眼鏡で日がな「リーダーズ・ダイジェスト」を読んで過ごしたような女性だったという。

というのが面白かった。
 
  
宵待草 - Wikipedia
 
 
  

こんな句をよんだ

庭に葉っぱに斑入ったドクダミが生えている。赤シソやクローバーやシダも少しだけ茂っている。苗を買ってきた訳ではなくて、いつの間にか生えていた感じなのだが。見つけると掘り返し、場所を移したりもしてる。なんだか気楽で楽しい。
散歩に出て、コンクリートの割れ目で生っている蛇苺を見た。蛇苺にも子供時代のささやかな思い出があって。少し欲しいなって気もするが。掘り返す訳にもいかず。蛇苺も知らない間に生えてくれたらなあ、って思った。
 
 知らぬ間に道を渡って蛇苺