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推敲

「推敲」という言葉をネットで調べた。

推敲(すいこう)とは、文章を何度も練り直すこと。
唐代、賈島という詩人が「僧推月下門」(僧は推す月下の門)という詩句を思い付いたが、「推(おす)」を「敲(たたく)」にするか迷っているところへ、漢詩の大家韓愈に「敲」が月下に音を響かせる風情があって良いと薦められた、という故事から来ている。


http://ja.wikipedia.org/wiki/推敲

[名](スル)《唐の詩人賈島(かとう)が、「僧は推す月下の門」という自作の詩句について、「推す」を「敲(たた)く」とすべきかどうか思い迷ったすえ、韓愈(かんゆ)に問うて、「敲」の字に改めたという故事から》詩文の字句や文章を十分に吟味して練りなおすこと。


http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=推敲&stype=1&dtype=0

そんな意味らしい。「僧は推す月下の門」か。なんとなくだけど。この詩の中の僧は、ある種の決意を胸に、月下の門を推したような気がする。(あるいは、敲いた)けれどその情景を思い浮かべた詩人の方は思い迷い、決めかねたりしたんだ。どっちがいいか。でも尋ねることの出来る友だちがいるっていいなあ、とか思ったら、

島赴擧至京。騎驢賦詩、得僧推月下之門之句。欲改推作敲、引手作推敲之勢。未決、不覺衝大尹韓愈。乃具言。愈曰、敲字佳矣。遂並轡論詩。


(書き下し)
島(とう) 擧(きょ) に赴(おもむ) き京(けい) に至る。驢(ろ) に騎(の) りて詩を賦(ふ) すに、僧は推(お) す月下の門の句を得たり。推を改めて敲に作らんと欲し、手を引きて推敲(すいこう) の勢(せい) を作(な) す。未(いま) だ決せずして、大尹(たいいん) 韓愈(かんゆ) を衝(つ) くを覺(おぼ) えず。乃(すなわ) ち具(つぶさ) に言う。愈曰(いわ) く、敲の字佳(よ) からんと。遂(つい) に轡(たづな) を並べて詩を論ず。



(現代語訳)
賈島は科挙(かきょ)の試験を受けるために、都・長安に赴(おもむ)いた。あるとき驢馬(ろば)に乗りながら詩を作っているうちに、「僧は推(お)す月下の門」という句を思いついた。その句の「推(お)す」という語を「敲(たた)く」に変えたならばどんな感じになるだろうかと、手でその動作をしてみながら悩んでいた。「推」と「敲」のどちらするか、決められずに悩んでいるうちに、うっかり政府の高官である韓愈(かんゆ)の一行にぶつかってしまった。賈島が、非礼にもぶつかってしまった理由をくわしく述べると、韓愈は「そこは「敲(たた)く」にした方がよかろう」と言い、二人はそこから意気投合して、馬を並べて詩について語り合った。


──故事成語で見る中国史
http://www23.tok2.com/home/rainy/seigo-suikou.htm より

とのこと。

その句の「推(お)す」という語を「敲(たた)く」に変えたならばどんな感じになるだろうかと、手でその動作をしてみながら悩んでいた。

のあたりが個人的にはツボなのだが。とどのつまり「推敲」の縁で、友だち出来ました、って話だったのか。80へえー。