3月21日 催眠術の日
321で、催眠術の日
はい ><
読まない読書家と書かない作家
図書室が舞台の漫画を見てて、アニメ「バーナード嬢曰く。」を思い出した。いかにして本を読まずに読者家ぶるか、とかなんか面白かった。
読まない読書家の話があれば、書かない作家も話もある。原稿は一枚も書いていないのに、文学賞の季節になると不機嫌になる人の話とか。
もちろん、彼は間違ってる。作家が作品を書くのだが、また作品が作家を産み出すものでもあるのだ、というブランショの言葉を思い出せば。想像や未来に置かれた作品から作家を導く考えは、もう決定的に間違ってる、という気すらしてくる。
でも、まあ。小説には興味ないけど、小説家にはなりたいとか。漫画が描きたい訳じゃないけど、漫画家になりたいとか。完成した作品もなしに、いきなり。作家さん然したくなる気持ちも分かる。作品など、いつでも書ける、ってな調子で。私もペンネームに悩み続け、サインの練習をしてた。
未だ書かれてもいない作品の後書きとかも書いた。なぜか調子よく、ばんばん書けた。バカである。><
尼寺や彼岸桜は散りやすき 漱石
「尼寺や彼岸桜は散りやすき 漱石」
で検索してた。明治28年の句らしい。年表を見たら、松山中学校に英語科教師として赴任した年であった。でも彼岸の頃はまだ東京にいたのかもだ。だとしたら下宿してたという小石川の尼寺法蔵院の桜かもしれない。
家を後にするときの詩歌って、なんか趣深い。「東風吹かば」とか。「草の戸も住替る代ぞ」とか。お引っ越しの、ポエムでもあると思うのだ。
「彼岸桜」でも検索した。彼岸の頃に咲く桜なのだろう、って思っていたら。小彼岸桜とか、江戸彼岸とか、桜の品種も指すようでもあった。うーん。桜の木を見ても品種とか、ぼくは分からないから。ソメイヨシノとシダレザクラ以外は、ぜんぶ山桜と呼んでた気する。
せめて桜くらい、花を見たときに調べればいいのに。やんないなあ。……雑草という草はない……って話を思い出し少し心苦しいが。植物に系統だった興味もなければ、ぜんぶまとめて「雑草」と呼ぶでしょう!とも考える。
山桜というのは、山に生えてた野生の桜みたいなニュアンスもあるらしい。対して、人の手で品種改良したものを里桜というらしい。この分類は、なんか気に入った。山桜と里桜。
私の一人寝
わたしも一人暮らしをしたことがある。
過ぎ去れば、みな良い思い出だ。
でも具体的には書きたくない。
都会で働いた。
忙しいときと暇なときがあった。
忙しいとき、部屋は本当に寝るためだけに帰っていた。
どさりと布団に倒れこみ泥のように眠って、
朝もはよから電車に乗るのだった。
わたしにとっての一人暮らしとは、一人寝のことだったかもしれない。
一人寝は素晴らしい。
一人になれるってだけで贅沢。
睡眠は良いもの、という信念はそうした頃に育まれたように思う。
睡眠は飢えの対象となりえて、貪るような眠りは単純で、
天から贈られた甘い露で、睡眠に勝る娯楽もなし!
これから部屋を借りるなら、寝室選びだと考えて、
よく眠れそうな部屋をおすすめしたい。
まったく参考にならない、と思うが。
#私の一人暮らし
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だからハートに変えて本の形にしよう!
「いいね」ボタンを押す事は、ここまで重い行為だったのか。まじで?……という話を読んだ。まったく同意である。何に同意か、っていうと。「いいね」は、もっと気軽であるべき、という事にである。みんな、もっとお気楽にさ、ぽんぽん「いいね」ボタン押そうぜ!
ぶっちゃけ、付き合いみたいのを感じるときもあるしさ、ぼくなんか冒頭の一行だけ読んで「いいね」押すこともあるよ。ちょっと、ぶっちゃけ過ぎかもしれないけど。それくらいのお気楽さで、ハートマークや、星マークをつけてもらっても。私はいっこうに構わぬ。といいたい。
「いいね」ハートマークというアイコンも少し問題なのかも。誤解のもとっていうか。別に賛成もしないけど、面白い極論だからって理由で「いいね」ハートしちゃうときもあるし。この「いいね」ハートを即、好意や、賛同や、おお同志よ!ってことを意味するって了解しちゃうのは、乱暴なんじゃないかなあ。
そういう訳で、「いいね」ハートマークというアイコン、図案、デザインを。「読了」本の形に変えるといいと思うのだ。
話は変わるけど、利用してる電子書籍に実際「読了」ボタンというのがあって。我輩著の本はこれがあまり押してもらえない。それで思ったのだ。好きとか嫌いは横に置いといて。「読了」ボタンを押してくれよ、と。
><
こんな話を書いた
春蝉
子供のころ学校からの帰り道に、蝉屋敷はあった。屋敷といっても古ぼけた二階屋があるだけで、ただ庭に欅の木が茂っており、暑くなると蝉が五月蝿いほどに鳴くから、近所の小学生はそう呼んでいたというだけなのだが。なぜだかこの蝉屋敷が私は怖かった。椿の垣根ごしに二階の部屋へとつづく外階段を見ては、ここに泊まることになったらイヤだな、と思いときどき夢にまでみた。
蝉の声に、ふと目覚めると金縛りで足元に方にドアがあって。その向こうはあの蔦の絡まった階段だ、と分かるのだった。私の部屋が蝉屋敷の二階で、とどのつまり。私は蝉屋敷の子供だったのか、などと恐怖した。夢なのだが。
花見を終えた月夜。久しぶりに昔、歩いた通学路を歩き、蝉屋敷のことを思い出した。見れば家も階段も欅も跡形もなく、綺麗さっぱり更地になって看板が立っていた。思っていたより、だいぶ狭かった。
3月13日 メモ 「サンドイッチ」
3月13日は「サンドイッチの日」らしい。
何時だったか桜の下で、サンドイッチを食べた。その日は気分が優れず天気も良くなった、が計画を立ててしまったから、それに従い出かけたようなものだった。花を見上げ私は人生について考えた。パッとしない。花など見ずにお酒を飲んでる方もいた。
ピーナッツバターサンド食べ花曇り ><