こんな話を書いた
ありがとう・勝負
買い物をすませた後。店員さんに「ありがとう」ということにトライしてる。でも思うような反応は滅多に返ってこない。……はあ?……ってなる事の方が多い。店員さんも忙しいからかもしれないし。私の声が小さいからかもしれない。タイミングもあるのかも。お釣りとレシートを受け取り、店員さんに顔を見て。「ありがとう」と。ごく自然に明瞭な声でいうのが望ましいだろう。その「自然に」というのが、もの凄く難しい。
存在感も大事だ。存在感とは存在が示す圧のことでしょう?声が大きいとか。陽気であるとか。眼光が鋭いとか。背が高いとか。高級な服を着てるとか。そんなこと。なんか影のうすーいひとが、か細い声で。「ありがとう」と述べても。……はあ?……ってなっても仕方ない気がするのだ。
清算をすませ、コンビニのレジのお兄ちゃんに「ありがとう」って言って、また無視されてしまった。レシートを一瞥した後、相手の目を見て。一拍おき。笑顔で明朗に「ありがとう」と言えば勝つるはず。
天使の落としもの
痛みに目覚めると屋根はなく、飛び去っていく天使の足の裏が見え、この胸には矢が刺さっていた。曙を見上げ迷惑な落とし物を抱いたまま階段を降りて曲がった廊下の突き当たりは物置と化した暗がりで、僅かに開いたカーテンの隙間から差す光芒がつくるガラクタの影が早速、幻の女を語りだす。
到着した台所で火をつけると鍋の上には雲が浮かび、水屋の硝子も曇るのだった。
こんなポエムを書いた
蛙のふぐり
蛙に目を奪われそうな、午後の日差しの中で。
「睾丸で考える」って表現が舞い降りてきた。
意味は思考の座はふぐりにあり、ということ。
「おれ、金玉で考えるタイプだから」
って言う人がいたら愉快ではないか。
大昔の素朴な人が、頭で考える奴らは狂ってる。
真っ当な人間は腹で考えるものだ!
と言ってたという話も、どこかで読んだことあるし。
睾丸で考える、って人がいても私はいっこうに構わない。
そういえば、通っていた中学校で。体育の先生が睾丸いっこだったらしい。なぜ、そんな話が学校に流布していたのか、今となっては謎だが。格闘技で睾丸を失う人もいるだろう。三国志では宦官という職業の人がいて。謀が得意だったらしいから、色々な思考の在り方があるんだろう。
そうそう。「私はペン先で考えている」って、ウィトゲンシュタインは書いたらしい。っていうか。ウィトゲンシュタインBOTさんからの受け売りだが。「利口な禿山から、緑なす愚かな谷間へ、何時も降りて行け」って名言も、ペン先から出た考えかもしれぬ、と思えば。また趣深い、と思った蛙の目借り時。
こんな句をよんだ
今週のお題「お花見」
近所の公園へお花見に行った。途中、コンビニによってお茶とお握りとキャラメルを買った。キャラメルはポケットに入れて歩いた。
この公園には隣接してホテルがあって、大きなガラス窓の前でも桜が咲いていた。ベンチに座って一服。風が吹くと薄いピンクが舞っていた。
「扇にて酒汲む影や散る桜 芭蕉」という句について。文字通りに芝居がかった仕草で、美文?にすぎる気もするけど。「日は花に暮れてさびしやあすならう」という、ちょっと人生を考えちゃうような句の後に置かれた句と思えば。やや享楽的に華やいでみせるのも趣ぶかいのかな?って気もした。「さびしさや華のあたりのあすならふ」の方が個人的には好みである。
とか思いつつ桜の木に近づき、枝を見上げたら淡い緑の葉っぱも出てた。で。ふとガラス窓の方を見たら、中はレストランになってて、フォークを口に運んでいる人と目があい、とても気まずかった。
人の顔ガラスに映る花吹雪
遠回りしたけど。一句よめて、嬉しい。><
メモ お花見のテキスト
花見、俳句でさくっと検索してみた。
「よし野にて桜見せふぞ檜の木笠」
って芭蕉の句とか。もうすぐ桜見れるぜ、イェーイ!って感じがしていいな、と思った。
「桜がりきどくや日々に五里六里」
とか。お花見にかける情熱が溢れてる気がした。これらは「笈の小文」(おいのこぶみ)という紀行文に載ってる句らしい。「笈の小文」の現代語訳もネットにあった。
吉野巡礼の動機もそんなに単純ではないぞ、とあったけど。やっぱ西行さんが歌に歌った桜を見たい、というのも大きかった、とも書いてあった。まさに「聖地巡礼」><
「吉野山 去年(こぞ)のしをりの道かえて まだ見ぬかたの 花を尋ねん」
という歌をふと思い浮かべたりとか。この「しおり」は「枝折」で、枝を折った道標みたいなもので、「栞」でもよくて、テキストに分け入るような趣もあり、面白いなって思った。
笈の小文 全篇詳細解読 音声つき | 万菊丸
桜と日本人/西行・芭蕉と吉野
こんな句をよんだ
「花見、季語」で検索したら、「花疲れ」という季語もあった。へえ、と思った。
そういえば。近場の公園でも桜が咲くのだが。ここは業者さんOKの公園で、花見の頃になると早くからテントが立ちパイプ椅子が並び、ビールが樽で用意されちゃうのだった。そして始まるバーベキュー。ボールを追う子供らは駆け回り、ちょっと年寄り向きではないのだった。
バーベキュー煙もくもく花疲れ
年寄り向けという訳ではないが、比較的静かな公園もある。この公園は道もよく整備されてて段差もなく、バーベキューは禁止されている。平日には施設のお年寄りもバスでくる。家族連れがお弁当を食べている中を、車椅子が列をなして行くのだった。
車椅子順に桜下の通り抜け
ネットで見た花と雪。
2018年3月21日、春分の日。関東地方は雪だったらしい。Twitterとか見てたら※※駅前も雪です、という写真や、改札を抜けるとそこは雪国であった、というような呟きが我がタイムラインにも流れてきた。期せずして、時正、花に雪ってカードが揃ったようで。そんな句が、どっと詠まれるのか、と思ったが。そのような事はなかった。公表されている俳句人口からいえば、一万句くらいは一気に詠まれて、トレンドを奪取してくれても私的には良かったのだけど。
「あはゆき」という言葉もあるらしい、と検索して知った。「淡雪」。春先、すぐ解けてしまうはかない雪。沫雪(あわゆき)は、沫のような雪って書いてあった。「アハ雪」なら、エウレカ!って脳を活性化するような雪だな、って思った。
「師の影をしっかり踏んで春の雪 鈴木みのり」
という句が「増殖する歳時記」で紹介されてた。面白いな、と思った。><